*小説「心に咲く花」について*  

 以前同じフロアで営業をしていた花屋さん「アスク フラワー ワークス」の作業台の上に、ある日、綺麗なフラワーアレンジがなにげなく置いてある様子に目がとまりました。聞くと、趣味で作っているので売り物ではないとのことでしたが、その見事な出来ばえにアートフラワーの個展を開くことを提案してみました。そこに私も便乗して参加することになり、「物語の中のアートフラワー」と題して2016年の5月に恵庭市民プラザ・アイルにおいて2週間の共同展示会の開催となりました。写真がそのアートフラワーですが、展示会初日、始まったばかりの時に真っ先に買っていただけました。

 アートフラワーと本をどのように関連付けるかという課題がありましたが、そこに実在しているアートフラワーを架空の小説の中にも登場させるという手法を選択することにしました。花屋さんの仕事や苦労話をアスクフラワーワークスさんに取材をしながら、展示会に間に合わせるために1ヵ月ほどで完成させた物語です。

 最初は短編小説として完成させたつもりでしたが、読んでいただいた花屋さんのお友達から、続きを読みたいという言葉をいただいたので更に内容を追加して中編小説となりました。花屋さんの現実と私の空想が入り混じった物語です。お客様を大事にして植物にも心をかける花屋さんのことを沢山の人に知っていただく機会になればと思っております。

泉 正人の小説書き出し部分


「心に咲く花」

五月、梅・桜をはじめとして、白、赤、黄色、青、紫色の可憐な花々がまだ穏やかな春の陽ざしをあびて一斉に咲き始めている。

切り花ばかりを見慣れている真乃の目には草原に自生している花々の姿は新鮮なものとして映った。

その場所に生を受けて、風雨にさらされながらも懸命に生きている花たちを切り取っては売っている自分の商売については、ふとした時に様々な思いがめぐる時もあった。


「月見櫓」

窓から差し込む朝陽が心地よく、窓を開けると爽やかな空気がゆっくりと部屋の中に広がった。そんな爽やかさを楽しむかのような小鳥の声が、近くの竹藪から聞こえてくる。

岡山市の東の高台にあるこの場所は日中でも静かで、車などの現代社会の物音はほとんど聞こえてこなかった。


「五階の廊下のつき当たりの大き目の窓からは」

五階の廊下のつき当たりの大き目の窓からは、最近では当たり前の風景になった高層のタワーマンションが近くに見える。最上階から数えてみると二十六階建てだった。

五階建てのビルに一人きりで過ごしていた私にとっては、明かりのともった部屋が沢山見えることで、自分の意識が現実に戻っていけるような自然な安堵感を感じていた。


 「またね」

屋上には真夏の暑い日差しが照り付けていたが、今の倫子にとっては、それは人が生きてゆく為のエネルギーに似たものにも思えて、暫くその場に立って陽射しを浴びていたかった。 


「もう一つの日常」

朝八時、ハローワークの玄関が開くまでには、まだ十五分ほど時間があった。植え込みのブロックに腰掛けた山岸の視界の中を、緑の路面電車が右から左へ向かって通り過ぎていく。

いつもと変わらない朝の風景がそこにある。いつしか山岸自身も今のこの生活に慣れを感じ始めていて、毎日通って来なくてもいいものを、あえて自分の意志で毎日通い続けることもさほどの苦痛ではなくなってはいた。


「狸小路にある楼蘭」

冬のどんよりした重たい曇り空のためか、夕暮れ時になって、あたりがにわかに暗くなったような気がした。冬至が迫っていた。地下鉄の出口から出て歩き始めると、足元は意外に明るかった。

うっすらと積もり始めた、湿り気をたくさん含んだ雪が、比較的早い時間から灯り始めている街並みの明かりを反射して、実際よりも多くの光を私の視線の先に当ててくれているのだ。

札幌市の中心部に近い場所に、昔ながらの商店街である狸小路はある。


「心の記憶」

私がその山間の城下町を初めて訪れたのは、初夏の陽気に花々が競うように咲いている五月の中旬だった。

私が住んでいる地方都市から電車で二時間程のところに、その歴史のある城下町はあった。

特別有名な観光都市でもない為か、観光ガイドブックにも申し訳なさそうに少し記述があるだけで、話題になるような名所・旧跡もないようであった。


「離婚届けのゆくえ」

私が突然救急搬送されて入院することになった原因は、胃潰瘍が進行したために生じた激しい痛みであった。殆ど考える間もなく手術ということになってしまったが、余計なことを考える時間のなかったほうがかえって気楽で良かったのだとも思えた。


「生かされて」

良枝が自分の身体に、今迄に感じたことのない思わしくない変化を感じ始めたのは数ヵ月前からであった。よく休んでいるつもりでも疲労感が抜けなくなり、時に下腹部にそれまでには感じたことのない軽い痛みさえも感じていた。


「白侘助」

午後五時、外来窓口が終了して最後の患者の姿が見えなくなり、日勤の職員達が退勤していった後の病院の中は急に静かになる。

山村光春は宿直室のデスクに向かうと一つ深呼吸をした。世間の多くの通勤人がそれぞれの仕事を終えるこの時間ではあったが、光春にとっては一日の仕事の折り返し時間であった。


「紙一重の社会」

(随想)

そこへ向かおうとする時に気持ちが重たくなるのは、私自身の気持ちが揺れるからなのだろう。自分がずっと何十年という間持ち続けてきた感覚と少し違う社会がそこには待っている。



「空の時」1

私を乗せた大阪行きの夜行寝台特急は、日本海岸を南に向かって走り続けている。こうして旅の空に寝起きする時間は、私にとっては心の中の本来の自分を思い起こすきっかけのような気もする。

旅に明け暮れたのであろう平安時代の歌人西行や、江戸時代の俳人芭蕉の生き方に心惹かれ、いつかは私も日々旅に明け暮れる、そんな生き方をしてみたいと思い続けてきたのであった。


「空の時」2

私達が教会へ行くようになってから暫くたった頃、博さんから美術館へ一緒に行ってみないかと誘われました。私も絵画など見ることは嫌いではなく、時には一人でギャラリーなどへ行ったりすることもありましたので、この時も気晴らしになるのではないかと思い一緒に行くことにしました。


「空の時」3

日常ではあまり感じる事のなかった、静かに心が満たされたような心地よい感覚を感じながら美術館を後にした私達は、次に、琵琶湖の東側の山際に位置する古刹、永源寺へと向かった。

永源寺には、前回この辺りを回った時には、時間の関係で行くことができなかったが、紅葉のこの時期に来たのであれば、やはり評判の紅葉の名所は是非訪れたかったのだ。


 「今を生きて、そして」

「自分は死んだのか」

私はそんな感覚に陥っていた。「喝」。不意に聞こえた大きな声で私の意識は覚醒した。死者に成仏を促す僧侶の大きな叫び声だった。

突然遺影になってしまった父親が笑顔でそこにいた。

「いや、まだ死ねない。父親の葬儀が終わるまでは」

 ささいな使命感に支えられた現実が再び私の目の前に広がった。


「心は時間を越えるのか」

思いがけず聞こえてきたのは、いつか聞いたことがある名前であった。人間の感性は不思議なもので、普段は全く意識していなかったある人の名前が不意に耳に入ってきた時に、どういうはずみなのか、それまで長い間切られていたスイッチが突然入って、長い間使われていなかった思考回路が覚醒するなどという事も起こるらしい。


「境界を越えて」

まだ三十歳代になったばかりの美紀にとって、世間で長い間おばさんの代名詞とも思われて来た清掃パートの仕事に、抵抗がないといえば嘘になるが、一年が過ぎた今は、仕事と割り切って働く事ができるようになってはいた。


「介護老人保健施設に朝が来る」

順子は、介護福祉士という職業を選んでしまったことを、時々後悔することがあった。人の役に立ちたいなどと理想は高いつもりであったが、実際に入ってみた介護の現場は、綺麗ごとではすまないことが沢山あった。


「静かな彼岸」

智行と理奈が付き合いはじめて、間もなく半年がたとうとしていた。付き合っているといっても、普通の恋人同士のように頻繁に会うという感じでもなく、時々連絡を取り合って一緒に食事に行ったり、カフェでお茶を飲んだり、時には美術館へ行ったり、郊外の公園などを散策するような付き合い方であった。


「海に面影」

幻想的な月の姿が海面に映る深夜の苫小牧港の岸壁を、大型のフェリーがゆっくりと離れていく。少し前なら岸壁の別れといえば、紙テープを手にいつまでも手を振りながら別れを惜しむという光景が見られたものだが、最近では人の心もあっさりしているのか、埠頭に立つ人影は殆ど無かった。


「吉備の国を想う」

(随想)

古代日本史の中心と考えられている近畿から、あるいは北九州からもかなり離れた岡山県に、その昔「吉備王国」と呼ばれ、かの大和朝廷にも対抗しようかという強大な勢力が存在した事を聞いた時は驚いた。学校の授業では大和の朝廷が古代史の中心であるように習ったような気がする。



「冬の時間」

採光のためにとられた小さな中庭からは、灰色の空と、いつまでも降り続くかのようにも思える白い雪が見えていた。日本海側の気候区に分類される札幌市では、冬の半年間は、どんよりとした灰色の空が広がるか、あるいはこの日のように、ひたすら雪が降り続く日が多かった。


「もうひとつの また まるやま」

大都会へと姿を変えた札幌の街。その西の端にあたる自然が多く残る環境の良い場所に円山公園という名の広い公園がある。そしてそのあたりの風景は、何十年もの間時間が止まったかのように大きな変化は見られなかった。 


精神科カフェ

 私は、相手が誰であろうといつもそうするように、約束の時間よりも十分ほど早く店に着いたが、驚いたことに山崎洋子は既に店の一番奥の窓際の席に座っていた。遠目からでも人目を引く、端正な洋子の容姿であった。

「こんにちは、お待たせしちゃいましたね」

 どちらかといえば人付き合いの苦手な私にしては、精一杯愛想よくした笑顔のつもりだった。


「ピットより出でて

咲け」

 地下のピットの中は真っ暗で、湿っぽい空気が立ち込めていた。懐中電灯のオレンジ色の淡い光に照らし出された壁と天井は、打ちっぱなしのコンクリートがむき出しで、ひび割れから地下水がしみ出しているところもあった。


「また まるやま」

小学校二年生の頃の私には、うっそうと木々が茂る、薄暗い原生林の円山山頂への登山道は、少しばかり怖いような気がした。入口で見下ろすようににらみをきかす、自分よりも大きな不動明王像がそんな気持ちを増幅した。


「雪のような睡蓮」

道弘は函館の街が好きである。ある意味では、函館の街並みは北海道で最も北海道らしくない街ではないのかと道弘は思っている。それは松前と共に北海道の中でも早い時代に開かれたという背景や、幕末の歴史的な大事件である戊辰戦争の最後の大きな舞台になったという紛れもない事実、


「吉野山~秋」

(随想)

「願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」

 私が知っている西行の和歌といえば、これともう一首位のものであり、西行という人物像についても、学校の歴史の授業で習った知識くらいのものしかなく、元は天皇警護の北面の武士という身分でありながら、世を儚んで若くして出家をし、隠遁人生をおくった人物という程度の認識であった。


「三十年目の同窓会」

大西、北山、谷口、山崎の四人は、小学校の一年生から三年生までの三年間を、札幌市内の中心部に近い住宅地域に建つ小学校の、同じ教室で過ごした友人同士である。勿論全くの偶然で同じ教室になった訳であり、そこには大人世界に満ちている打算や計算などの介在しえない、心からの仲間意識が生まれた。


「図書館にて」

一人でいる時間が長くなってくると、生活スタイルも自分に楽なように流れがちとなっていたし、果たしてこれから他人と生活を共にしていけるものなのかと考えると、正直言って不安が無いわけではなかった。


「幸せラジオ」

ある地域FM放送局からの出演依頼が私にあったのは、放送予定日の一週間前だった。それも何の前触れもないまま突然のことだった。個人事業主として仕事を始めたばかりの私がたまたま異業種交流会で知り合った人からの紹介ということである。


「今年も桜に」

(随想)

四月の中旬に、悪化した十二指腸潰瘍のため救急搬送され、そのまま緊急手術から、思いがけずの入院生活となった。

 十日程が経過した頃、病室のテレビで、日本列島を次第に北上してくる桜の開花情報を眺めながら、いよいよ今年こそは、桜の花を見に行けないまま、春が行き過ぎてしまうものと諦めていた。





小説タイトル一覧


短編

 

またね

冬の時間

海に面影

図書館にて

幸せラジオ

静かな彼岸

精神科カフェ

また まるやま

狸小路にある楼蘭

心に咲く花(短編)

離婚届けのゆくえ

今を生きて、そして

ピットより出でて 咲け

心は時間を越えるのか

むひとつの また まるやま

五階の廊下のつきあたりの

          大き目の窓からは

 

中編

 

白侘助

心の記憶

生かされて

境界を越えて

雪のような睡蓮

心に咲く花(中編)

三十年目の同窓会

介護老人保健施設に朝が来る

長編

 

空の時1・2・3

月見櫓

もう一つの日常

 

 

その他(随想)

 

吉野山~秋

今年も桜に

私も少数派

紙一重の社会

吉備の国を想う

私が函館を好きな理由